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アッラーの教え

善悪の基準は、時代や場所を超えて不変である。
そう考えたのは哲学者の祖、ソクラテス。

一方で「確信犯」なんて言葉もある。
善悪は宗教や文化的背景にも左右される。

しかし見られる限りどの文化、宗教、集落においても
怨恨による殺人や窃盗は禁じられているし、
昔は交信がなかったはずの全ての大陸で、示し合わせたように
同じ「結婚」という文化が生まれ、定着している。
「葬儀」だって、「信仰」だってそうだ。

つまり、異なる文化・宗教の下においても全ての人に共通な「知・情・意」が
流れているんだと俺は思う。だからソクラテスの考えには賛成できる。


相変わらず前置きが長くなりました。
イスラム教に入信したわけではありません。
山田マサシでございます。今回はイスラム教をクローズアップ。


今から少し前、ディカプリオ主演の「World of Lies」という映画を見た。
CIAの諜報員がテロリストのドンを捕まえるという分かりやすいアメリカ映画だが、
その舞台はやはり中東。ドンは、ビン・ラディンに模したイスラム原理主義者。
ご存知の通り、こんなストーリーの映画はゴマンとある。
きっと、アメリカはイスラム教が大嫌いなのだろう。
(※この映画は面白いし、ある程度客観的に映していると思う。)


いつも思うが、俺も含めて日本人は宗教に対する知識がなさすぎる。
その日本人が、こんな映画を何本も見続けるとどうなるか。
イスラム教に対して大きな不信感を抱いてしまう。
被害妄想かもしれないが、それはある意味アメリカによる洗脳でもある。


日本人が持つイスラム教のイメージ。
物騒で、何をやっているのかよく分からない不気味なイメージ。

一方で日本人が持つキリスト教のイメージ。
十字架やイエス・キリスト。
神を信じる敬虔な信者が、ステンドガラスが美しい教会でお祈り、
懺悔をする。それは神秘的なイメージ。


良く分からない2つに対し、一方には不気味と感じ、他方は神秘的と感じる。
日本だけでなく、世界にイスラム=悪、キリスト=善の構図が少しづつ
滲みだしてきているように感じるのは俺だけだろうか?


ではイスラム教は不気味で悪い宗教なのか?

そんな訳がない。

イスラム教は世界3大宗教の一つ。信者数だって軽く10億は超えるだろう。
それだけ広く、多くの人に信じられる教えだ。
理に適っていない訳がないことは、容易に想像しなくてはいけない。

ましてイスラム教もキリスト教も、同じセム文化をバックグランドに持つ。
ユダヤ教と合わせて、3つの宗教が1つの場所エルサレムを信仰の中心に据える。
つまり、イスラムだってキリストだって基は同じ。

少ししか読んだ事がないが、コーランの記述は、「不完全だからこそ人間的」な
記述があって、孔子の論語(儒教)を思わせる。
論語だってコーランだって、その教えは人間的で面白い。


例えば中東に多い、全身布(ヒジャーブ)をかぶって目しか見せない女性。
なぜあんな格好をしているのか?
その理由は大体こんな感じ。

1.「人間は不完全な生き物です。煩悩に駆られると我を忘れて
   神の掟に背いてしまう!」
2.「ああ!いかん!女性の胸をみると神の教えに背いてしまう!」
  ⇒女性は胸を布で見えないようにする、隠してもらう?
3.「ああ!だめだ!女性の手足は魅力的すぎる!」
  ⇒手足を布で見えないようにする
4.「あぁぁ!もう!その髪、唇をみると欲情してしまう!」
  ⇒顔を隠す。全身隠したことになり、その結果目だけ残った。


イスラム教は「禁止」の宗教。
神の教えに背かない様に禁止・自制することで、自分を汚さないようにする。
アッラーの存在が、社会に道徳を与える

コーラン第3章第110節に示されているイスラム教の目的は、
「汝らは義しい事を勧め、いけないことを止めさせようとし、
 アッラーを信仰する。」


キリストもアッラーも、神は人道を示し、拠り所を与える。
それぞれの宗教で正しい行いをする為の手段(宗教儀礼や儀式など)が
異なるものの、目指すものは一つ。善。正しさ。

そこに、ソクラテス(哲学)がそっと力を添える。
善悪の基準は、時代や場所を超えて不変である。
キリスト教徒、イスラム教徒、仏教徒、皆同じ方向を向く。


最後に悪いイスラム教、イスラム原理主義について。
西欧列強によるイスラム世界の支配と、イスラム教世界の衰退を背景に、
イスラム宗教改革主義が生まれた。その流れから、以下の様なプロセスで
今の様なテロリズムが生まれていった。

①イスラム教が衰退した。西欧列強の支配のせいだ。
②でもまてよ?状況がどうであれイスラムを正しく信じれば、イスラム教
 世界が衰退するはずはない。アッラーは絶対なのだから。
 イスラム教が正しく解釈されていないのでは?
 ⇒現在のイスラム諸国でさえも「非イスラム的」「反イスラム的」と解釈。
③じゃあイスラムの正しい解釈とは?コーランを読み直そう。
④西欧列強への敵意を持ったままコーランを都合よく解釈。
⑤コーランの宗教解釈と矛盾した「現実」を批判し、破壊する。
⑥被造物はアッラーのもとで一つの秩序をなすのだから、人間に理性などが
 あっても意味がないし、理性などそもそも存在しない。


法典は文字で伝承される以上、読み手の解釈の仕方によっていかようにも
読み取れる。

イスラム教の啓示はシャリーアと呼ばれ、コーランを主軸にスンナ、
イジュマーア、キヤースという原典で形作られる。
コーランを教科書とするならスンナは参考書、イジュマーアやキアースは
教科書と参考書をよく読んだ人が「じゃじゃじゃぁ、こんなことも
言えるのでは?」みたいな事をまとめたレポートの様な感じらしい。

シャリーアを都合よく解釈すると、狂信的なテロリズムが生まれるらしい。

コーランの目的は既にふれた。
時代が変われば状況も変わり、状況が変われば目的を達成する為の手段も変わる。
恨みから盲目になり、手段の選択に躍起になった揚句、宗教の目的を
見失ってしまった哀れな信者たちが、テロリストなのだろう。


しかしまぁ、教典の読み変えで悪事を働くことは何も今、イスラム原理主義に
始まった事ではない。西欧のキリスト教国だって、十字軍やら植民地やら、
教義とかけ離れたことを国家単位で行い、原典の拡大解釈を重ねて他国の
恨みを買い、発展して今日に至る。
歴史を俯瞰すれば、キリスト教の読み変えがイスラム教の読み変え
を生んだといってもいい。

日本にも僧兵なんて仏教の狂信者がいた時代があったっけ。


俺は相変わらず不可神論者。科学を信仰(?)していて、
ルーツは仏教文化。でも家に仏壇はないし、神棚もない。

これと言った教義を持たない俺は、何を道徳の中心に据えているのだろう?
もしかすると、意識せずに悪い行いをしていることがあるのかもしれない。

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社会基盤

マサシに来て1年3カ月。
この間にマサシも幾つか変わった。幾つかの発展を遂げた。
その中でも一番大きいのは言うまでもなく、電気。

今年の3月から、ムトワラからのガス発電による電力供給が開始した。
たまに電圧が低い時間があるけど、殆ど24時間切れない。
これはすごいことだ。
去年の七夕の短冊に、「電気が欲しい」と書いた事が懐かしい。

でもいつも通り順調に活動していると、10時に突然電気が落ちた。
「お、来たか」と思い外に出て、「いつ戻るかねー?」といつもの
お決まりのやりとりを同僚と交わす。

すると、面白い返事が。「さぁ?県庁が電気代払えばもどるんじゃないの?」
電気代を滞納しているらしい。しかも数カ月分。

マサシ県庁は複数の部課の建物が市内に点在している。
その分電気代も高くなる。それも作る時に計算しなかったに違いない。
相変わらず・・呆れさせられる。
折角、安定した電力供給が実現されても、支払いが滞っては意味がない。
インターネットのプロバイダ料金も然り、基本的な事がきちんとこなせない。

一人でと憤慨していると、女性の同僚がこんなことを喋り出す。

「電気がなくてどうして仕事ができると言うの?なぜ会計課の彼らは
 学習しないのかしら?彼らのミスで多くの人の仕事の手を止めて、
 従業員全員の一日の給料分ロスが出るのに。これは大きな損害だわ。
 今月ようやく払ったあなたのところのプロバイダ料金だって、電気が
 なかったら使えない間に食いつぶされていくじゃない。それに出張で
 遠方からマサシ県庁仕事に来た人達が気の毒だわ。」


いいたいことが、同じ民族の口から出てきた。
実は仕事をしていて、こういう機会は結構多い。でもこういった意見が
言える人でも、時に同じ様な過ちをすることもある。
例えば「電気会社に支払いに行ったけど、窓口がチャイ(お茶)に
行ったまま戻らなくて払えなかった」とか。
そんなどうしようもない(あってはいけない)ことがまだまだあって、
ここで普通に仕事をすることは日本よりも難しい。

組織がきちんと動く為には、社会全体がきちんと動いている必要がある。
生活インフラも社会基盤の一つだけど、民族的な性格も社会基盤に挙げられる。
今回は完全に県庁のミスだけど、そんなことを考えた。

環境保護と生活

最近、いつもお昼を食べに行くママ・マリアンの店が閉まっている。

スワヒリ語で「店が潰れる」に使う単語は「oza」で、本来の意味は「腐る」。
スワヒリ語のニュアンスは面白い。


腐った理由は、炭の値上がり。
以前1,000Tsh(100円位)で販売されていた炭(腰の高さまである大袋一杯
に詰めて売られている)が、今は倍の2,000Tshに値上がりした。
私たちにとってはさほど痛くはない値上がりだけど、ママ・マリアンの店に
とっては致命的。

毎日の料理を炭で作っても、俺が炭を買うのは月に一度。
でもママ・マリアンは、朝から晩まで炭を消せないので一日に一袋使う。
ちなみに、ママ・マリアンの美味しいご飯は、一食700Tsh。


炭値上がりの背景は、木の乱獲を政府が規制したこと。因みに県庁の仕事。
確かに環境保護は大事で、取り組まなければならないことの一つだが、
ここの人たちにとって炭は必需品。ガスなど勿論ないし、灯油は話に
ならないほど高い。ママ・マリアンの店にとっては、一月の光熱費が倍に
なるのだから、その痛手は大きい。

環境保護と生活。どちらも大事な事だが、所得が低く、また科学に
頼っていないこっちの人にとって、ECOは日本よりも難しい。

自家用車でいくかバスで行くか、日本は「選択における我慢」がECOだが、
こっちは「強いられることに対する我慢」で選択の余地がない。

ECOは必要だけど、それが先進国のEGOにならないように、
環境保護のフィールドで先進国は途上国を上手にリードしなければいけない。

Windows 7

最近、マサシでもWindows 7のパソコンを見る機会が増えてきた。

「俺のノートパソコンに、アンチウイルスソフトいれてくれ」と
言って持ってくるパソコンが7だったりする。
「7じゃん!」と驚くと、得意げな顔をするタンザニア人。

可愛い所ではあるが、最初に見たときは、驚きながらも嫉妬したっけ。
「俺だって触ったことないのに!」なんて言いながら、俺の
パソコンと交換を強要したりしてみた事もあった。


浦島太郎はコンピュータ技術者なのに7の事が未だによく分からない。

でも何となく、UIがだんだんMACに近づいている気がする。
でもなんか、二番煎じだと亜流な感じがしてしまう。

ネットワーク設定がやりにくくなった気がする。
IT用語を隠し過ぎて、どこを触っていいのかぱっと見分からない。
まぁ、操作性なんて最初がどんなに悪くても、ネットに転がってる
フリーソフトを使えば大体の事は解決できるけど・・。

機能面でもOfficeやインターネットが快適に使えて、起動が軽ければ
OSなんて正直XPのままでもいい。7にはその考えを払拭させるほどの
特徴があるのだろうか。

Windows=左脳系ビジネス、Mac=趣味と右脳系ビジネスの構図の通り、
Microsoftはその「おカタイ」路線で進んで欲しい。Simple is best.


OSに限らず、ソフトウェア全般に言える事だが、最近の製品は全て
高速インターネット接続が前提で作られているのがツライ。
あと、OSが増えると修理に必要なアプリが増えるのがツライ。

ポリシー

人それぞれ、役割も仕事に対する姿勢も異なる。
他の職種の隊員と少しだけ一緒に活動をして、勉強になった。

少し前、バガモヨで活動する先輩隊員からある相談を受けた。
バガモヨ県庁から「バガモヨでもCRCを作りたい」という要望が上がったそうだ。

その案件を職種:村落普及員(広く、地域開発が仕事)の
先輩隊員が担当することになり、ボスからマサシのCRCが成功事例として
紹介されたらしい。
そこで俺に相談が来て今日、バガモヨまで視察に行ってきた。
設営に必要なインフラやその見積、運営に必要な条件などを調べてきた。

バガモヨでも、県庁の仕事はひどかった。
CRC設営の目的も、きちんとした計画もないまま、既に国からパソコンや
UPS、プリンタなどの機材(新品)をタダで受け取っていて、それが長い間
放置されていた。「国から」とは言ってもその原資は支援金が殆どだろうから、
この現状には目を覆いたくなる。

バガモヨ版CRCの当初の構想はマサシと同じく、「住民に向けたインターネット
等の情報配信」を目的にしたものだそうだ。
しかしバガモヨはマサシと違って町にインターネットカフェが多く存在し、
そこでサービスを受ける事ができるらしい。
バガモヨで、高額な設備投資をしてまでCRCを作る意味はない。

構想の段階で、現実に即した内容に見直す必要があったはず。
さらには、構想から具体的な計画を立てる前に機材搬入の申請を
してしまい、担当部署やスケジュールも決まらないまま、部屋の片隅に
PCが入った段ボールが積んだままになっている。

ここでも、支援の手が自助努力を上回っていて、組織が腐敗している。
※同県庁では最近、数人の役職が使い込みや汚職で捕まって話題になっている。


とは言え、あるものは使わなければいけない。
隊員が尻拭いをする形は気に入らないのだが、そうも言っていられない。



今回の仕事で勉強になったのは、先輩隊員の考え方。
いつも「カネがない」と言う配属先に属し、ないならばどこからカネを
もってくるか?を考えていた。
要するに、資金の調達や人材調達を主とする活動。

一方で俺は、あるものをどう使うか、どうすればカネがかからないかを
第一に考える。資源の活用を主とする活動。

企業が収益を上げる方法は二つ。収入を増やすか、支出を減らすか。
どちらかと言えば先輩隊員は前者で、俺は後者。
この二つは、モノを熱する事と冷やす事と同じ、正反対。
開発援助と言えば前者のイメージが強いが、隊員には後者が多い気がする。

俺は赴任前から、「カネとモノの支援はしない」と決めて活動している。
なぜなら、支援慣れさせたくないから。
でも、今回の先輩隊員の活動を見て、こんなことを思った。

カネを渡すのは、途上国が秘める無限の可能性を引き出す為の投資。
これは、カネと言う薪を火にくべて、物質をずっと加熱していくイメージ。
一方、今あるものを有効に活用することは、途上国の基礎体力を鍛える筋トレ。
これは、芯からゆっくりと、冷却していくイメージ。

加熱すれば温度は無限に上がっていく。リミットはない。
けれども冷却にはリミットがある。
物質は絶対零度(-273℃)以下にはならない。
いくら支出の無駄を省いても、収入は増えない。当たり前の事だが・・


先輩隊員の活動を見て、「カネとモノの支援はしない」というポリシーには、
限界がある事を知らなければならないと思った。

奴隷時代

今日はダルからバスで1時間30分、バガモヨに行ってきた。
スルタン王朝時代、キルア同様奴隷貿易が盛んだった場所で、
その名前はスワヒリ語の「baga(残す)」と「moyo(心)」に由来する。
奴隷時代、ここから海外へ輸出された奴隷が「わが心ここにあり」と
言って送られていった。

市内にも奴隷史博物館や、奴隷が吊るし首にされたバオバブの木が残っていたり、
奴隷の歴史を痛々しく感じさせる。

人が人を鎖で繋いで、家畜同然に働かせるなんてどんなに惨い事だろう。
泣き叫ぶ母親から子供を引き剥がし、子供を「処分」する行いは人と言える
だろうか。どの時代でも人は人を食べないように、人間の倫理の大部分、
善悪は時代に左右されない。
奴隷制度は倫理に反した悪に他ならず、イスラム教国だったスルタン王朝に
おいては、国家全体がその教えに完全に背いていたはずだ。
「ニガーは人ではない?」奴隷制度そのものが人のアイデンティティに反している。

奴隷制度は決して許されるものではなく、時代と共に贖罪されても
忘れられ、風化させてはならない。

この穏かで、陽気な民族が虐げられ、殺されてきた事を思うと本当に心が痛い。
ちなみに、今でも顔に大きな傷の跡をつけたタンザニア人のおっちゃんは多い。
これは奴隷時代の名残で、「顔に傷がある人間は奴隷としての価値が下がる」と
されていた為に昔、多くの人が顔に傷をつけたらしい。


スルタンの奴隷制度同様、日本人も過去に大きな過ちを起こしている。
これも許されることではなく、また忘れてはならない歴史。
また別の機会にしっかり、取り上げたいと思う。


この国の発展は、長い奴隷時代にも原因がある。
数世紀にわたる奴隷時代に続くのはヨーロッパによる植民地時代。
タンザニアは長い間迫害を受けてきた。
人類発祥の地と言われ、どの民族より長く続いている民族が歴史上、
500年以上ロスしていることになる。


と、書き始める内に、当初書こうとしていたことと全く違う内容を
書いてしまいました。

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